音楽の可能性は無限大。制約があるほど広がるかも、という話。


音楽は芸術なので、純粋に芸術的な要請によってどういう音楽なのかが決まっているのだろうか?音楽家の側はそうは思っていないが、一般的にはあまりそうは思われていないような気がする。一般的ないわゆる「曲」の長さが3〜5分前後なのは、なにか芸術的な要請があって決まっているという感覚を持っている人は多いのではないだろうか。しかし、音楽の姿は聴かれ方、受け取られ方によって決まる。

音楽が一部の特権階級の楽しみだった場合。

庶民にはない教養が観賞に必要な方が望ましい。そのため、音楽には格式高さと、美的センスの高さが求められる。ベートーベン以降のソナタがこの聴き方の最高峰だろう。

作曲理論的な構成が分かれば、この手の音楽は実に面白い。もっとも、複雑な曲の構成を記憶しながら聴くのは一苦労なので、繰り返しと言うシステムが考案された。呈示部を2回繰り返して演奏して覚えさせて、展開部で「おおこう展開したか!」と楽しみ再現部で「おおこう戻って来たか!」と楽しむ。クラシックに縁のない人には何を言っているのか分からないと思う。なかなかマニアックな世界だ。

また、日本の雅楽のテンポがやたらめったら遅いのも同じ様な理由。もともとは踊りに使うような軽快なテンポだったが、いちど廃れたものを儀式用として復活させたのが雅楽。格式高い儀式で使うため、厳かな雰囲気の演出のためテンポが限界まで遅くなったらしい。

音楽を聴くためにコンサートホールに行く場合。

当然わざわざ出かけて行くわけだから、すぐ帰されるわけにはいかない。移動時間、開演を待つ時間を考えたら、30分で終わったら不満だろう。だから1時間〜2時間のプログラムになる。それが人間が何かを楽しんで満足したと感じ、なおかつお尻が痛くて座ってられなくなる時間の境なのだろう。映画の上映時間も同じような理由で決まってると思う。選ばれる曲もある程度分かりやすく派手なものになる。ショパンとかリストとかね。

音楽を聴くためにCD・レコードをかける場合。

CDの再生時間がベートーベンの第九が入る長さというのは有名な話だが、このCDというフォーマットがアルバムという売り方を作った。流通の都合で値段が決まり、この値段を出すからには再生時間が短いと困る…ということで、アーティストはアルバムに10曲くらいは入れなきゃいけなくなった。

音楽を聴くためにテレビをつける場合。

この用途のために曲の長さは3〜5分、サビは30秒以内とかの決まりができた。5分くらいなら興味が無い歌手でも待てるので、お茶の間にぴったりってことでは?と勘ぐっている。サビの長さは言うまでもなくCMの長さだ。

その他にも、農作業で息を合わせるのに使う場合だったり、宗教儀式に使う場合だったり、飲食店の居心地を良くするためだったり、そりゃあもう考えられるありとあらゆる場所で音楽は存在して、人間に取って欠かせないものだと思う。だから、音楽のフォーマットは音楽自身の内側からの芸術的な要請によって決定されるのではなく、音楽の外側からの実用的な要請によって決定されるのだ。

もちろんそのことで音楽はつまらない、と言いたいのではない。それぞれの制約のもとで、音楽家はすばらしい作品を作って来た。むしろ、新しい音楽の聴取のあり方はなんだろう?と考えることで新たな制約が生じ、結果すばらしい作品が作れるんじゃないか?と考えることができる。

そのひとつとして、Twitterのような聴かれ方はアリじゃないだろうか?

いつでも会話に参加できるTwitterのゆるいつながりのように、時々つまみ食いのように参加してみるも良し。TLをぼーっと眺めているときのようにただ音を流しておくも良し。1時間聴いても1分聴いても同じ聴取体験といえる聴き方。

そう、つまり今作っている作品、RAIN TOWER IVの宣伝です。すいません。

まだベータ版ですがだいぶ作品が完成しましたので、5月15日(土)の午後から、ゆるーく聴けてTwitterから参加できる音楽をやります。聴くにはUSTREAM、参加するにはTwitterのアカウントが必要です。15日までにも突発的にプレ演奏(?)を行ないます。どちらもTwitter上で告知します。フォローミー!

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